怒りの炎ーアンガーマネジメントの方法とは

アンガーマネジメントー怒りという感情を、どうマネジメント<管理>するのか、という話。現代人にとっての、大きな課題の一つかもしれません。
それを専門に、一つのビジネスが成立するくらいのカテゴリーなので、到底私の専門ではないのですが、「マネジメント」ということで言えば、いわば日常からの「管理」がモノを言う、というのも一つの側面です。
そこで、スピリチュアルな視点ー波動の共振共鳴ーということを含めた、アンガーをマネジメントする考え方をご紹介します。
そんなやり方もあり、ということでリラックスしながら読み進めてみてください。

前提ーアンガーをマネジメントするとは

「アンガーマネジメント」と「感情のコントロール」は、似て非なる話です。
「感情をコントロールする方法」というのも、たくさんヒットするような情報ですが、実際のところ「感情」は「コントロール」できません。これは、医学的に証明されている話。

ただ
「今は」「怒りを表さない」ということはできるーこれを「感情のコントロール」ということはできます。大人ですから、嫌いな相手とでもニコニコ対応できますし、怒りで震えていても、平静を装うこともできるー理性でせき止めている感じ、ですかね。
そういった一時的コントロールはできても、その「怒り」自体は【なくならない】というのが重要ポイントです。怒りだけではなく、悲しみや失望などの感情全般、フタをするだけで流れていないよ、ということを忘れてはいけません。溜め込まれた感情は、いつしか何かがトリガーとなり、パカ――ンと溢れ出たら、もう誰にも止められない。そう、感情はヒトが完全にコントロールできるものではありません。   


ならば、アンガーマネジメントの方法として挙げられているような、怒りの沸点を上げるー許容を広くするような、普段から「怒り」自体を別に感じない、という方向へ育てた方がずっと得策といえそうです。 

 

 

怒りの炎に包まれる

さて、ここからはある方の「アンガー」を例にしてみます。これは、実際に私が相談を受けた内容をアレンジしたものです。
仮にお名前をAさんとしましょう。Aさんは、お仕事のことー転職を考えて相談にいらっしゃいました。ご本人は気づいていないと思いますし、言葉遣いが刺々しいとか、威圧的とか、そういったことではないのですが…怒りに包まれている、という感じがしました。


Aさんのお話では

  • 派遣社員で、派遣期間が終了する
  • 次の仕事の条件は○○で○○で…
  • 派遣と正社員での、待遇の違いがやっていられない
  • 派遣の自分は、有休もとれずに未消化で辞めざるを得なかった
  • 正社員は、有給休暇に加えて、夏季や冬季の休暇も取っていた

つまり、派遣と正社員とでの「不公平さ」に対しての、相当な「アンガー」を抱えていたのです。こういった場合、お話をされる方に共通していることが、メインの「不公平な待遇」を訴えるだけではなく、それだけで話自体は成立するものの、背景というのか、補助内容というのか…あることをサラリと付け加えます。


今回の場合だと
派遣の自分とは違い、有給休暇を存分に消化している正社員という対象に関して
「家族のためみたいなので、自分の遊びのためとかではないのかもしれないけれど」
「それにしたって、好きなように休みを取って…(私はできないのに)」
という話でした。
Aさんにとっての自己主張は「不公平だっっ」です。
そこに、サラリとついてきた「遊びのためではないのかもしれないけれど」


アンガーマネジメントで重要な方向転換は、この「○○かもしれないけれど」ーここを視点に見ることです。 

 

 

間口が広がる

メインの話ーAさんの例では「不公平」ということでしたが、それらはたいていが「想定外」であり、そこには怒りや悲しみ、不安などのネガティブな感情が付いています。
 

それがアンガーのポイントなのですが、
既に書いたように、そういったアンガーの訴求部分ーメインだけでも話は完結できるのに、極端に言えばこちらから「聞いていないのに」、その背景や補助の内容を付け加えて説明する。「○○かもしれないけれどーそれにしたって…」という流れがほとんどなのです。
 

つまり
無意識的に上がってきている情報を、意識的にそこを自分は見ないようにしている、ということの表れのように感じます。
ちなみに、その「○○かもしれないけれど」の部分を突っ込んでみたりすると、「その話をしているんじゃない」「そんなことわかってます」と、反応は皆さまざまではありますが、いずれにしても「却下」されてしまうという結果になります。触れられたくないのですね。 

 

ただ
メインの自己主張の部分ー「不公平だっ」にフォーカスしていると、アンガーマネジメントどころの話ではなく、どんどん怒りの炎が膨れ上がるだけです。
怒りが怒りを呼んで、「そういえば…」と、関係ない過去の話まで引っ張り出してきてしまい←自動で起こります、もうどうにもなりません。。。 

 

そんな風に、自分からアンガーに突っ込むのではなく
フォーカスする視点は「○○かもしれないけれど」の部分です。まるでまるで付属の大したことない前置きみたいなところですが、そもそもが自分でもそれを語っている、ということもあります。これは無意識からのヒントでもあるのですね。
 

ではAさんの場合
「家族のためみたいなので、自分の遊びのためとかではないのかもしれないけれど」
にフォーカスしたら…どうでしょうか? 

  • 介護とかって大変なのかな
  • 自分は、プライベートは自由だからな
  • 仕事を休んでいても、働いているようなもんなのかな
  • ま、それでも有給だからお金になるんだからマシか

そういった、アンガーとは違った思考がいろいろ立ち上がってきます。そんなの勝手ストーリーで、ホントなのかどうかなんてわかりません。ホントかどうか、が重要ではないのです。


今回のAさんのような場合であれば
そういった勝手ストーリーが立ち上がれば「それはそれ」という、自分とは切り離した見方もできるようになります。自分とは環境が違う、設定が違うしな、という間口が広がるからです。
 

 
あるいは
今回の例とは異なるシチュエーションであっても、お互いの関係性によっては、声をかけて歩み寄ることで、おたがいがお互いを新しく理解することで関係性を深めることにつながったり、反対に「私とは違う」というキッパリとした境界線を引くことができるキッカケになるのかもしれません。 

 

 

怒りの波動を抜ける

ちょっと厳しい話をすると…
「八つ当たりされやすい人」とか「脚を引っ張られやすい人」、人というか「場合」があります。
【負のエネルギーがにじみ出ているヒト/場合】
です。 

 

怒りの炎に包まれている、ような時は、周りの人々もそのエネルギー、波動を感じ取っています。それが親しい友人や家族でしたら「どうしたの?」「なんかあった?」って、自然に声をかけられたりするのかもしれませんし、あるいは「機嫌悪そうかな…」と察知して、声をかけないようにそっとしておく…なんて配慮があるのかもしれません。 

 

ですが
親しくもない他人の場合、さらにはその人自身も「怒り」に包まれているような時、そんなお互いのアンガー/ネガティブがぶつかり合うと「何その態度っっ」「ムカつく」「感じ悪い」「睨んできた」って、なんとかハラスメントに発展することにも。
自分では、意識的になにかをしているわけではないのに、イライラ”されてしまう”。そのアンガーな波動が、勝手にイライラを誘ってしまうのです。(なんてこと…) 

 

そもそも
自分自身も「アンガー」という怒りの感情に留まるのではなく、「次のステップ」へ進めるということがなにより大事ー「○○かもしれないけれど」へ視点を変えれば可能になります。 


 
冒頭で書いたように、感情は一時的にはコントロールできても、無くなるものではないため、しっかりと怒りを感じて、流すということが第1ステップです。
そして、感情が落ち着いてきたら、次のステップへ。そういった俯瞰したモノの見方が身についてくると、だんだんアンガー自体の時間も短くなってきますし、「別に」気にならない、という器が育ってきます。
自分から放たれるエネルギーがプラスであれば、プラスの状況が眼の前にも広がってくるー出したものが返ってきます。八つ当たりをされるなどとは反対に、あなたとあいさつをするだけで癒されるような感覚になるもかもしれない、そんな関係を創っていきたいですね。