傲慢に見える人もいる

「傲慢」ー極端に思い上がった気持ちになり、むやみに人を見下す様子だ。・・・新明解国語辞典より

傲慢に見える人、あなたのまわりにはいませんか?
傲慢という言葉が当てはまりそう、そんな方に遭遇すると、私はシンプルに「今世はどんなお題なのかな?」と、余計なことが気になったりします。
それって「因」なのか、「果」なのか、いやそれ自体がお題なのかとか…余計なお世話ですね。

でも、この傲慢な人により、私たちは迷惑を被っていたりということもあるわけです。
「むやみに人を見下す様子」というさまなので、決して気持ちの良いモノではないし、「なんとかハラスメント」にも十分適用できそうです。

 

 


 

 

色々な状況や理由はあれど、前提として2つ、

  • 自分自身が見えていない、という状況は共通
  • でもヒトのことは、自分には関係ない

この、自分には「関係ない」のスタンスがとても大事です。
傲慢なエネルギーを放てば、傲慢が返ってくるのはその人自身であって、私には関係のない話。
「いや、でもあんなに傲慢なのがまかり通るなんてムカつく!」とかもあるのですが、
エネルギーの矛先を間違えてはいけません
ムカつく傲慢な人へ自身のエネルギーを向けるのではなく、自分自身のために有限のエネルギーを使わなくてはならないからです。

 

 


 

 

ちょっとスピリチュアルな視点から、この「傲慢に見える人」を見てみます。
「傲慢を体験する人生」
というのもあるようです。
ただ。単品なのではなく、「それを乗り越えること」とセットだそう。

「傲慢の体験」自体が「因」なのか「果」なのかはケースバイケースですが、それで終わり、なのではなく、それをきっかけに自身を知り、個性を活かした調和を学ぶ、ということで1セット。
もし、「傲慢」だけで終わる今世だと、いわゆるカルマとなり、来世へと持ち越しになるようです。
これが因ーだから来世では、周りからなぜか疎まれるとか、人間関係での課題ー果、を抱えることになるのでしょうね。

こういった、スピリチュアルな世界にも傲慢な人はいます。
統合意識的に「みんな平等です」を謡いますが、「私は特別ね」な感じ満載で、自分が頂点に立たないと気が済まないという人は普通に…いますね。
でも個人的には、それはそれで良いような気もしていて。
ちゃんと高次のメッセージを伝える、というお役目を果たしているし、その人自身がシンボルとして立つことで受け取れる人、救われる人もそれなりの数がいるのですし。
そういう方に限って「私は今世で終わりで輪廻しない魂」と自身を語っていたりしますが、「いや、カルマになるよね、終われないでしょ」と心で密かに思います。
まぁ…人格に難アリというところ。



人生はさまざまなことを「体験」しながら成長してゆくというものです。
皆、大まかな「今世の課題」を持ってきており、そのための資質や才能も併せ持っているのですが、結局
「何を選ぶのか」
「どう生きるのか、進むのか」
は自分次第で、私たちには自由意志と創造力が与えられています。

傲慢に振舞うのが当たり前になって、自分が出しているエネルギーと得ているエネルギーのアンバランスに気付かないと、
それは「果」となって、必ず自身の魂へ返ってきます。

個人的には、35、36才くらいまでは、周りも調和も気にせず進んで良い時期なのかと感じています。
占星術的にいって、30代中ごろまでは「太陽期」です。
自ら光り輝く太陽のごとく、主役は自分、周りというより「個人」の創造性を膨らませる時期だからです。

まずは、周りに、他人に流されない自分の軸を持つことが大切です。
傲慢なのは自分か、周りか。
自身を等身大で見つめる、俯瞰すること
傲慢な人へではなく、自分自身へエネルギーを注ぐこと
言葉で書くのは簡単ですが、感情に揺れ動いている時はなかなか「内省」も難しいものです。
そんな時には、煮詰まる前にセッションなどをうまく活用してください。
新たな視点を取り入れることで、自分の立ち位置を確認できるでしょう。