私は運が悪い・ツイていない

何をやってもどうにも上手くいかない。
そんな時に限って、電車が止まったり、雨が突然降ってきたり、あれ昨日買ったばかりの服が今日からバーゲン品になっている!、など…、どうにも疲れてしまう。
そんな時にふとよぎる言葉、「私は運がないんだわ」「ここのところツイてないわ…」
そんなことはありませんか?
そもそも「運」とは何でしょうか?
「物事を成就させるかさせないかの(命がまっとうされるかされないかの)巡り合わせ」(新明解国語辞典)
運とは巡り合わせなのですね。つまりは自分でコントロールができないモノ。「運も実力のうち」なんて言われることもあるけれど、自分でできることじゃないのだからどうしようもない。
あーあ、本当に運が悪くて自分は災難だ…。

この「運が悪い」、私は最強のネガティブワードと捉えています。超最強です。全てのネガティブを包み込む強さを持っています。
誉めているようで、実は全然誉めているわけではないのですが。
何が最強なのかというと、「自分は悪くない」「自分に非はない」ということが明確であり、「自分に責任がない」、それでいて「あぁそのせいでダメなんだ」とマイナスな状況を納得させることができるからです。仕方ないんです、貧乏くじを引いちゃった私は本当に気の毒な人なんです、あーあ、運が悪いって損だよなぁ…。


で、そろそろひっくり返しますと、運が悪いのも「自分の責任」です、という。
でも、巡り合わせですよね?コントロールできないんじゃないのですか??
そう、いつ起こるのかはコントロールできないのですが、「自分が原因」となったエネルギーが今、結果となって自分に降りかかっている、というものだからです。
因果応報、ということです。

量子力学的にも、スピリチュアルの宇宙の法則的にも、仏教的にも、
「出したものが返ってくる」
は正しい見解です。「自分が」出したものが「自分に」返ってくるのです。
真っ黒いボールを投げて、真っ白いボールが戻ってくるわけではなく、投げた真っ黒いボールが自分にそのまま返ってくるのです。
すぐに、という場合もあるでしょうし、時間軸が入り後になってから戻ってくることもあるでしょう。この結果はどうにもコントロールはできません。
つまり、「運」という言葉を使うのであれば、それさえも自分が作り出しているものだという考えを持つ必要があるでしょう。



今、自分の周り起きている出来事は、自分の内側の反映ー鏡のようなものです。
自分を取り巻く環境はスムーズに進んでいるでしょうか?見渡してみたら、足止めをされることばかりが続いてしまっているでしょうか?
眼には見えない心の中の状態、調和が取れているのかいないのかは、眼で見ることができる外側の環境を見れば歴然です。
条件や形ではなく、自分はどうありたいのか、起こっている現実をどう意味づけるのか。
運が悪い、ツイていない、と意味付けするのであれば、運が悪いことやツイていないことを自ら進んで引き寄せていることになります。
「運がない」のは運命なのではなく、「自分が作りだした結果」です。


大切なのは、「それに気付く」ということももちろんですが、
そもそも何故「運が悪いんだ」というあたかも自分ではない、どこかに責任を押し付ける考え方をしているのか、という部分を掘り下げることです。
その裏側に隠れている不満や恐れといった、自分が握りしめている感情に気付き、過去の自分と今の自分を比べてみる。
ダメだ、無理だと思い込んでいただけで、「今はもう違う」ということも発見できるでしょう。
思い込んでいた自分像や幸せ像などが書き換えられれば、そもそも「運が悪い!」と嘆くことがだんだんと減ってくるーひいては運が悪いことが、自分の周りから姿を消してゆくのです。
無駄な出来事は一つもない、必要なことしか起こりません
時には何かを捨てることも必要ですが、立ち位置を変えるだけで全く違う景色に辿り着くこともあります。そんな新しい自分を発見するのも楽しいですよ。
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