幸せの青い鳥

「青い鳥」といえば、チルチルとミチルの兄弟による童話がとても有名です。
2人で「幸福の青い鳥」を探す旅に出かけるファンタジー、そして実は「青い鳥」はもともと家にいた?、と気づくという。
そして
中島みゆきさんの「僕は青い鳥」という歌でも、同じようなことが謡われています。

幸せになりたくて 人は変わってゆく
幸せを追いかけて 狩人に変わってく
青い鳥 青い鳥 それは自分なのに
青い鳥 青い鳥 今夜も迷子

隣の芝生は青いー他人のものは自分のものより良く見える、と言われることもあるように、
自分の身近にある幸せの青い鳥を見過ごしていることが、きっとみなあるのではないでしょうか?

 

 

幸せになりたい

セッションを行う中で、複数回にわたるコーチングと違い、1回のセッションではなかなか「行動」までたどり着けない、ということもままあります。

ボイジャータロットや占星術、チャネリングを通したセッションでの「情報」は、それだけではなく、そこから始まる新しい「行動」に結びつくことで、自身を取り巻くエネルギーが動き出すものです。
「そうなんだ」「へぇー」
という納得も新鮮なことですが、それだけでは現状が変わらない、というのも事実です。

「情報」から、それを基にした新しい「行動」へと結びつかないのは
もちろん複雑な要因が絡み合っているものですが、
まっこと単純に言ってしまうと「枠が深すぎる」というものです。

でもでもでもでもでもでも。
そうなんですそうなんですそうなんですそうなんです。
でもでもでもでもでもでも。

いろいろな言葉をかけても、みなそんな風にスルーされてしまう。
その根底には「自信がないから」「(先は)どうかわからないから」と、
なかなか動き出せない自分がいるようです。


自信もないし、どうなるかもわからないことに踏み込めないよね→心配だもの、という枠を持ち、
そこからの視点であり行動を起こすので、どんなプラスの言葉もスルーしてしまいます。

そして大方、「幸せになりたい」という願望を持っています。
幸せになるには…
今の心配ごとが無くなったら幸せになれるのに
今より収入が増えたら幸せになれるのに
今の想いを行動に移せたら幸せになれるのに
もっと自分軸があれば幸せになれるのに
もっと、もっと…

ここでの大きな勘違いは

幸せな状態は、心配ごとがなく、自分に自信がある状態と思っている

ということ。
そもそも、幸せとはある一定の状態を指す言葉ではありません。
幸せを感じながらも、心配ごとはつきないし
幸せを感じながらも、揺れたりジレンマを感じることもある。

だから、この○○がなければ幸せなのに、とか
この○○があれば幸せなのに、という発想は、半分正解で半分は不正解ー
今あるマイナスを手放しても、今はない何かを手に入れても「幸せ」が固定されるものではないからです。

 

 

あなたの中にある「青い鳥」

幸せとは
本当にシンプルに、「青い鳥」状態なのだと思っています。
全てみな自身の中に持ち合わせている。
それにあとは気付くだけ。
青い鳥は、私の中にあるものです。

全く気に留めていないようなことの中に、自分だけが持つ「才能」が存在している。
そして、その才能や持って生まれた「資質」を見いだせたら、それらを活かす道を探す・創る。
それは決して、仕事として収入につながらなければならない、というものでもないし
誰かの何かの役に立たなければならない、というものでもない。
「自分らしく」輝いていれば、自然と誰かの何かの役に立ってゆくし、
心配ごとやトラブルに出くわしても、「幸せ」自体を感じることはできる
のです。

きれいごとではなく、セッションを通して本当に「灯台下暗し」だなと感じることが多々あり、
もったいないな、といつも思います。
みなそれぞれに唯一無二の存在ー幸せの青い鳥はここにあるのです
自分の青い鳥は何だろう?
もし迷うようならお気軽にセッションを受けてみてください。
心の声を具現化していきましょう。