運命の確約と自分軸

確約、という言葉には安心感がありますよね。
ホテルの予約時「高層階・海辺側のお部屋確約」とか、レストランの予約時「夜景のきれいな窓際・確約」とか。
必ず、という約束ですからもう何もしなくていい。
どんなお部屋なのかな?とか、気にしたり不安になることもない。安心ですよね。
そんな安心感をもたらす「確約」、運命にもこの言葉が使えたら…どうでしょうか?

 

 

鶏が先か、卵が先か

ボイジャータロットカードの中に「Delusionー幻想」という
カードがあります。
近くにあるものは、大きく輝いて見える。でもそれは本物かもしれないし、ニセモノなのかもしれない。

そして遠くにぼんやり輝く光。
ぼんやり見える山。
あそこがゴールなのだろうか?
本当にこの砂漠を必死に進んで、その先にはオアシスがあるのだろうか?
「確約!」って言ってくれたら、必死で進めるんだけれどな…

そう、ちゃんと目的地に着けるというならどんなに険しい道でもがんばって進むし、
絶対ゆめが叶うというなら、迷わず進む。
のに。
そんな確約もないのに、どうやって一生懸命進むことなどできようか? 間違っているかもしれないし、得られなかったらどうしてくれる?
と反論が出てくるところだけれど、違う側面からその状況を眺めてみると。

「本気で進まないと、たどり着けないんですよ」
ということにもなる。
あるのかないのかわからない、という気持ちで進むと、少しの横やりにもすぐやる気が萎えてしまう。
こんなに風が強いのにもう歩けない!、寒いor暑いからもう無理!、歩いたってそうなるかわからないんだし、もういいんじゃないの??
ホラ、途中でリタイアしたら、そもそも何にも掴めないですよね…

あるかどうかわからないことに本気なんかだせない、だって確約ないんでしょう?
でも本気じゃないなら、そもそも何にも掴めないですよ、リタイアしちゃうんでしょう?
これって、鶏が先か卵が先か?、ですね…。

 

 

良いか、悪いか

そもそも私たちには、「良いか、悪いか」で物事を判断・区別しがちです。
学校教育の中でも、テストで点が高い良い子、平均点に満たない悪い子的な区分分けの中で育ち、社会へ出ても、学歴や住まいなどの取り巻く環境を基準に区分けされがちだからですね。
確かに、集団で社会生活を営む上ではそれなりのルールがあってしかり、そこをはみ出してはなりません。ルール自体がおかしいよ、変えようよ、と手を挙げることはできますが、はなからルールを守らない、は論外になるでしょう。
なので厳密には、いろいろなところに境界線なるものが存在はするのですが、思考そのものが
「良い / 悪い」で区分されてしまうことは好ましくありません。

運命、という自身の未来がどうなるのかは、誰にも確約はできません
いろいろな占術によって、こうなるでしょう、という未来予想図は見えますが、所詮「今のエネルギー段階で見た未来」、に過ぎず、今後の自分がどう変わるかで、未来の結果も当然変わってきます
「絶対」は語れないのです。

それが薄々わかっていながら、「確約がないから、自信が持てなくて進めない」、と未来への一歩を踏みとどまるのは、その「良いor悪い」という思考回路から生み出されます
「この道で<良いのだろうか?>」「間違っているのではないだろうか?<悪い>」「おかしなことしているって、思われないだろうか?<悪い>」「本当に合っている??<良い>」

それらの想いは、誰を基準に語られているのでしょうか?

 

 

揺れてて良いのが自分軸

ボイジャータロットの大アルカナ8番は「Balance-バランス」です。バランスをとる、というと、
両者の天秤が同等で、しっかりと止まっているようなイメージがありますが、バランスをとるためには、実は常に小刻みに震えています。
「ヤジロベエ」を想像するとわかりやすいでしょうか?
ヤジロベエもいつも常に揺れており、止まるとパタンと倒れてしまいます。
そう、バランスをとるためには、常に小刻みに揺れ続けている状態なのです。

このバランスのカードでは、ダイアモンドである自分軸を以て、小刻みに揺れるー常に変化し続ける環境に順応しながらも、常に倒れず立ち続ける姿で描かれています。

ここでいう「揺れている」は動揺している、という意味ではありません。
バランスをとるために、常に変化し続ける環境に「順応」するということです。順応するために、自分の立ち位置をずらし、常に倒れずにいる姿です。

そして、どこに立つのか。
それが「自分軸」ー自分で決めたところに立つのです。
良いとか悪いではなく、誰かにわかってもらう必要もなければ、正当化の説明もいりません。
なぜ「間違っている」と思うのか、さらに間違っていることを「悪い」と思うのか。
それは自分の軸ではなく、「他人軸」で見ているからです。
自分のことを、他人から見た視点で、他人のことだからわからないのに憶測で、間違っているのかな、と不安になっているだけです。

間違えていたら?
ひとしきり落ち込んだり悲しんだり怒ったりして落ち着いたら、どこが間違っていたか分析して、今後に生かしましょう。人には、「経験」というものも必要です。
それを経験することで、見えてくる世界がまた広く深みを持つでしょう。人生は、必要なことしか起こりません。
自分の体感を通してしか、語れないこともたくさんあるのです


新しいことに挑戦するような、今までと違う自分になる時は、恐れも不安もあるのが普通です。
それでも、持って生まれた資質・才能を活かし、自分らしく輝けるというその未来のためなら、不安と一緒にワクワク感も抑えられずに飛びだすこともできるはず

あなたは自分らしく輝く道を見つけていますか?
そのためなら、きっと本気で、ちょっとくらいの風が吹いてもめげずに進めます。だからこそ、きっと何かをちゃんと掴めるでしょう。