どこに行っても変わらない

転職をしたり、引越しをしたり。
そういった、自分を取り巻く環境を大きく変えても
少し時間が経つと、「似たようなことが起こる」ということを経験した方も多いのではないでしょうか?
どこに行っても同じだ、どうしたら良いのだろう?、
と考えている方の、少しでも気付きになれば良いなと思い書いています。

  



どこに行っても変わらない、
似たようなことばかりが起こる、
それは転職であれば、同じような環境になるーお局様がいる、とか
同僚は悪口ばかり、とか
ノルマノルマで、数字ばかりを追わせられる、とか
結構なんだかんだでブラック企業とか。

あるいは
結局「満足しない」、ということもあるようです。
たとえば、
会社勤めをしていたら、毎朝の通勤がつらかった、
でもフリーになったら、満員電車から解放された。
これはすごく自分にとってプラスな出来事で、最初はとても心地よく感じていても。

会社勤めじゃなくなったら、名刺1枚、コピー1枚にもお金がかかる。
経費の計算があって、宣伝方法も自分で考えて、自分で創って、
人に頼むならまたお金がかかって。
収入も安定しないから不安、とか。
それらは、通勤が無くなったことの快適さと相殺になって、
結局「変わらない」という感情を持ち始める

 


 

辛いことのさなかにいる時は
「なんでこんなことをしなければならないのだろう?」
と疑問に思い、

どこかにもっと自分が輝ける場所があるはずだ、と幻想を抱く
世間では
「好きを仕事に」「楽して稼ぐ時代」「副業で〇〇円」なんて
そそられるワードがあふれているし。

でも。
結局「どこに行っても変わらない」のだと思います。
同じことなのだからあきらめよ、という意味ではありません。
どこに行っても
自分のしたいことだけで満たされる世界はない、ということ。

喜怒哀楽、というように
楽しいこともあれば、悲しみも、怒りも存在する。

 


 
 

どこに行っても同じなら自分が変わるしかない。
他人は変えられないのだから、自分が変わるのだ。
というのは正論で、
どこにも非の打ちどころがない言葉。
ごもっともな反面、
苦しみの渦中にいる時に、こういった言葉たちはいささか虚しく響く、のは私だけでしょうか?
自分のせいだ、と非難されているようにも聞こえるし、
変えよ!、と言われても「どう変えるんですか??」とさらにグルグルに巻き込まれるような、感じ。。


私はそんな時に、見渡す方向を変えてみました。
どこに行っても変わらない。
これは同じく
「自分の出したものが返ってくる」ということも変わらない、という
宇宙の法則もしかり、なのだということ。

仏教的には「因果応報」ー良くない意味で使われる言葉ですが、
これは「因縁果の道理」という、仏教の根幹をなす考え方から生まれたものです。
全てには「原因」があり、「縁」という環境によって、「結果」がもたらされる、というもの。
ここでいう「因」は自分の行いー自分がした、という行動だけではなく、言ったこと、さらには心の中で「思ったこと」も原因の一つ(一番大きいとされているそうです)です。
これもまさしく
「自分の出したものが返ってくる」
の形ですね。



だから
自分はどんな世界を観たいのか、創りたいのか、
ひいては自分自身を知ることから始めてみてはどうでしょうか?

夢見る理想の世界、なのではなく
何をしたくて、どうありたいのかに気付くこと。
周りがどうであれ、自分は何に対して、限りある自分のエネルギーを注ぐのか、を決めること
そのエネルギーが、自分に返ってくるのです。
そのエネルギーに引き寄せられたモノたちが、周りに集まるのです。
自分次第で自分の世界は変わる。

どこに行っても変わらない、
でもシンプルに
出したものが返ってくるのだ、ということもまた「変わらない」のです。