「好き」と「できる」の差とは?

「好き」なことは、それだけで「楽しい!」「うれしい!」という、ポジティブな感情を持てること。
非常にわかりやすいですし、
人生の糧、軸となるのは、この「好き」という分野にあるはずです。


一方で
人には「できる」という要素があります。
これも広義では「好き」に入ることー感情的には、別に楽しいってわけではないし、できるかできないかっていう話でしょ??、ともなってきますが


好きか嫌いか、という2択なら「好き」に入るよね、仕方ない…となってはきませんか?
結局、そこに資質や才能があるということで、ウキウキを伴うか、別に、なのかの違いです。


この「できる」ということが、自分を取り巻く環境の中での「役割」でもあり、いわゆる仕事の軸、仕事という面でのブレイクスルーの軸となる部分です。
アカシックの世界観で言えば、「できることが託される」ーそれが「使命」とも言えるでしょう。
 
 
 

好きなこと

たとえば
「好き」を仕事にした場合。
営業が好き / 得意、な人なら、人と話すことも好きですし、コミュニケーション上手ですし、人を惹きつける魅力があるのでしょう。
そういった、対ヒトとの関係性に優れ、営業成績を上げれる実力があるなら ⇒ じゃあ、それを後輩に教えて、育てて下さい
という、指導 / 教育が「できる」のか、というと、そうとも限りません。


もう一つ
わかりやすく、要点を押さえて話すことが上手で指導が得意 ⇒ 教育部というスクール部門で活躍してきたので、今後は現場トレーナーとして指導してください
となると、同じ指導 / 教育でも、学校と現場では同じように「できる」のかというと、これもそうとも限りません。


 
 
どちらの例も
当人にとっての「好き」の部分がありー
・人との関わりなのか
・成績を残すことなのか
・オリジナリティを生み出すことなのか
・指導、育成なのか
・あるいは「その分野の仕事」なのか
どこかに「好き」があるからこそ、成立しているのですが、その中でも「できる」ということが個々で異なりますね。


「好き」を仕事としていない「ライスワーク」なら、なおさらそれが顕著にわかりやすい。
感情というよりも、淡々と「できる」からやっている、という世界観そのものです。
 
 
 

できることー担当分野

次に、自分ならどんなことが「できる」だろうか?
そう考えてみて、あなたはいくつ、そしてどんなことが浮かびましたか?
これは「得意なこと」も入ってはきますが、
「別に」「普通でしょ?」「みんなやってるし」くらいな感覚のコトも含まれます。それが、あなたの「できること」ーわかりやすく言うと「担当」「役割」、だから「託されていること」なのです。
 
  


 
 
たとえば
人と関わるのが好き、といっても「外回りの営業」ではなく、「営業事務」を任されることもあるでしょう。
自分の意識的には、「外に出て」というイメージがあるものの、その類まれなる完成された営業サポートぶりが、実は引っ張りだこで、いろいろな「会社”内部の”人々との関り」が仕事では軸になってくる、という感じです。
もちろん、人との関わりも気配りも、当人の持つ才能であり、「好き」でもありますね。そこに、自分にとっては「普通に」仕上げているだけの資料作成が、実は類まれだったりするのです。


あるいは
スピリチュアルの分野の仕事、といっても「対個人のセッション」なのか、「対集団の講座スタイル」なのかでは、「できる」部分が変わります。
どちらもできる / どちらかの方が得意だし好き / 両方はできない、など、頭で考える「好き」「できる」があるものの、仕事の軸となるのはどちらか寄りになってきます。



わかりやすく「仕事」を例に挙げていますが、仕事だけの話ではありません。
プライベートという家庭内での、いわゆる「役割分担」ーできる方が、得意な方がやる、ということもあります。

Voyager Tarot-Harmony-調和

これは
ブログで何回も登場している、ボイジャータロットのカード
「Harmonyー調和」に代表される考え方で

それぞれが、個性豊かな才能ー個々の楽器の音色を持ち
全てが1つとなって、オーケストラが完成される、
というものです。

好きなことでもあり、そしてその中に含まれる「できること」
これが、団体社会の中での調和を生み出します。



融合へ

ただ、この「担当分野」という考え方は、
理想的、あるいは効率的なようで、「縦割り状態」を生み出してしまう原因にも。
自分に余裕がある時は良いのですが、イライラが募っていたりすると、相手の、周りの「できていない」部分へ眼が行きがちになるー「あなたの仕事 / 担当でしょっっ!!」と、ぶちまけてしまうような原因にもなりますね…

巨大なシステムを、効率よく回すために「担当」という部署に分かれているーだから、たらい回しのお役所仕事、みたいな例えが使われたりもしますが、
本来「できる」ことを皆が持ち寄って、1個を創りあげる、というのは、きわめて「普通」に思えます。

 
ただ
これを縦割りにスパン!と切り落とすというよりは、
少しオーバーラップするような、少しその境界線が混ざり合って「融合」するような、それで1個が成立する、という方向性が理想です。

 
仕事という組織の中では、立場上縦割りということもありますが、
プライベートの家庭での担当、あるいは自分の中での「好き」と「できる」の担当分けなどは、割り切るだけではなく、その先の「融合」までを視野に入れてみたら、新しいなにかが生まれてきた!、までを創り上げられそうです。
不本意な争いごとがなくなりますね。


 
 
本来、自分で持っている資質や才能は、キラキラ輝くことや脚光を浴びることだけではなく、案外自分の中では地味な「普通」なことにも潜んでいます。

そして
それを活かすことで、実は自分の「好き」も増大していく、そして周りの人々へも貢献できるという「調和」をもたらす鍵になります。
あなたの「できる」こと、今一度見つめてみてはいかがでしょうか?