やる気はあとからついてくる

「よし!今日は新月、気持ちも新しく毎日○○を実行しよう!」
新月はお月さまの新たなスタートの日、この日に様々な手順(儀式?)を踏み、気持ち新たに挑むとその願いは叶う、とか…。昔から様々な方法が取り上げられています。
区切りの良い新月や、月の変わり目、春分秋分、あるイベント、記念日、誕生日など、
これらも行動を後押ししてくれる要素です、もちろん全く興味のない方もいるのでしょうが。

 

ところが、せっかく決めた「行動」がなかなか実行できません、ということは普通にあります。
それは大きなことだけではなく、例えば「明日は○○をしよう」「今日は○○を片付けよう」と日常何かしらの予定を立てても、どうにも予定通りに進まない。

  • 本当にやることが遅くていやになる
  • 本当に時間が足りない
  • 結局続かないんだよな
  • っていうか○○のせいでできなかった
  • っていうか、そもそも「今日はやる気が起きない」んだ

ということもあるかと思うのですが。
実は「やる気」は初めはないものなのです。
やる気がないのが普通、やり始めるという行動を起こして初めて「やる気ホルモンドーパミン」が放出、それがいわゆる私たちのいう「やる気」状態です。
これは精神科医の先生も力説されており、「やる気がないからできない」は誤り、というもの。 

 

そんな話を聞くと、私はどうしても昔見たアニメや仮面ライダーなどの特撮ヒーローを思い出してしまうのです。
仮面ライダー達は「変身っっ!」と言ったのち、何やらがキラキラうごめいて機能満載スーツやお宝ベルトを身に着ける。全部が装着し終わったところで、「トゥッ!!」とパンチやキックが展開される。
何が言いたいのかというと、超人的なパワーを生み出すまでには変身時間がかかります、ということで、
それはまるで私たちの身体の働き、動いて初めてやる気ホルモンが出るんです、ということと同じだな、という。
ロボット系のアニメも同様ですね。人間がロボットに乗り込んで、「○○スイッチOOON!」とかしてやっと超人ロボが動き出す。
やはり最初っから飛ばしていく、ということではないのですね。
少し話が逸れたような?
もとい、まじめな話をすると仏教的には「因縁果の道理」というものがあります。
いわゆる因果応報です。
因ー自分が起こした何かが原因で、果ーその結果が自分に返ってくる、というもので、縁というのは「環境」だそうです。
因が縁と結びついたときに、それが結果となって自分にやってくる、という考え方。
例えば、
私たちに記憶はありませんが、過去世の自分が因となり、両親という縁が結びついたことで自分が今世誕生、ということです。
つまり、自分に起きていることは全て自分が因ー原因となったことの結果であるということで、冒頭であげた「っていうか○○のせいでできなかった」、は誤りです。
「○○のせい」は一つのキッカケだったかもしれません。
電車が遅れたから遅刻した、とか、○○さんが忘れ物をしたからプレゼンが台無しになった、とか。ただそれは「縁」であって「因」ではない、ということ。つい「縁」のせいにしがちではあるのですが、全ての「因」は自分です。もちろん、「運」さえも招いているのは自分自身なのだということを、私たちは自覚する必要があるのではないでしょうか?
やる気が起きなくても大丈夫、普通です。
やる気は誰にも最初からはありません。まずは「縁」となる環境を整えてみるところから軽く始めてみるのはどうでしょうか?
勉強なら、テキストを机やテーブルに置いていつでもとれる状態にしておく。
パソコン業務なら、とりあえず机に座ってみる。
運動系なら、まずは着替えだけしてみる。
超人ロボに乗り込んだら、スイッチOOON!してみたくなるかも知れません。だんだんやる気がでてくるのではないでしょうか?
  
また、でき「ない」「なかった」ことを見るのではなく、「できた」部分を見るクセをつけることをお勧めします。セッションをしていて気づくのは、傍から見ると「実はこんなにできているのにね」というところがとても多いということです。
「できていますよ」「いえいえそんな」という綱引きをするつもりはないのですが、「できる・できたところ」もしっかり見つめるようにしてみてください。
「できない」と思えばそれが「因」になり、「できない」という「結果」を招きます
自分の世界は自分が作っている、のだとしたら、あなたはどんな世界を作りたいですか?
新月の今日、○○します宣言と共に、楽しみながら目標をクリアできたら良いですね。