レイキの元となるものは、日本で生まれました。
レイキの歴史的に、海外で普及したレイキが日本へ逆輸入される形で、日本では有名になっていきましたので、「日本伝統式」と名の付くレイキよりも、「西洋式」レイキの方がここ日本でも圧倒的に多いです。
今日では、レイキにはたくさんの種類があり、海外で生まれたものもたくさんありますが、
「日本伝統式」のレイキを基本としており、その発展形レイキという位置づけがほとんどのようです。
全てのエネルギーワークの基本であり、全てのレイキの基本でもある「日本伝統式レイキ」、その発祥の地が「京都鞍馬山」です。
創始者の臼井先生がレイキの悟りを開いた場所、それが「鞍馬山」なのです。
先日その鞍馬山へ行ってきました。
鞍馬山のエネルギー
鞍馬山は、レイキという前に「パワースポット」として非常に有名な場所でもあります。
鞍馬山の説明には
「鞍馬山は、すべてのいのち輝く世界のために、明るく暖かく力強く生きるための活力を、本尊「尊天」からいただくための浄域です」
とあり、尊天とはこの世に存在する全てを生み出す宇宙生命、宇宙エネルギーである、と。
まさに「浄域」であり、非常に空気が澄んでいてすがすがしい場所でした。
もちろん…山なので、それなりに道中きつく、結構な筋肉痛になったのですが…。
レイキの創始者の臼井先生が鞍馬山で修行に入られ、
ついに悟りを得て下山される時、ウキウキしていたから??、つい木の根っこに足を引っかけ転んでしまったーその際に足の指の爪が剥がれてしまった!ー相当痛い出来事ですが、レイキパワーで手を当てたら痛みが消えたのだ、
という話が、レイキの初級講座では語られることが多いのではないでしょうか?

道一帯に根が広がっています
山中なので、決して歩きやすい状況ではないのですが
木の根っこに足を引っかけて、というのは納得です!
「木の根道」という道一帯、根が広がる場所もあり、なかなかの
圧倒な景色でした。
鞍馬寺本殿から木の根道を超えて間もなく
大杉苑瞑想道場と呼ばれる場所へ辿り着きます。
天災による倒木もそのままに、とても大きな木が林立、
木が放つエネルギーがこれまた強く、
近づいただけで身体にビリビリと響きます。
大自然ですから
ブーーンとハエなのか、音が聞こえたり
虫も飛んでいるのですが、
虫嫌いな私でもなぜかさほど気になりません。
鳥のチュンチュンと鳴く声がすがすがしく、
静まり返った空気がなんとも言えない。
頭頂部からはエネルギーがザバザバ入ってきます。
「宇宙即我 我即宇宙」
(うちゅうそくわれ、われそくうちゅう)
大宇宙と小宇宙(自分)、全ては一体
と感じることができる。
原点に立ち帰れる場所でした。

護法魔王尊のエネルギーの高い場所だそう

鞍馬寺の本殿金堂には
千手観音菩薩ー月の精霊(慈愛)
毘沙門天王ー太陽の精霊(光明)
護法魔王尊ー大地の霊王(活力)が奉安されています。
その前に広がるのがマンダラ模様の金剛床ー
「内奥に宇宙の力を蔵する人間が、宇宙そのものである尊天と一体化する修行の場」(鞍馬寺HPより)
だそうで、みなこの中心に立ち、しばしエネルギーを感じていました。
私も中心に立ち、第4シンボルを唱えて天を仰いでみたところ、真っ赤なエネルギーが一体に広がりました。
今の私には、赤いエネルギーだったようですね。
レイキの神髄
普段セッションでもお伝えしていることですが
こういったエネルギーの澄んでいる場所で、時間に追われない場所で、人との関わりがあまりない場所で、
相手の立場に立って考えよう、とか
何か言う前には一呼吸おいてから、とか
自分を内観して、自分と対話しよう、とか
自分を尊重しよう、とか
相手も尊重しよう、
といったことは、比較的簡単にできる。
宇宙のエネルギーを感じて、穏やかな気持ちを取り戻すことができる。
だがしかし。
日々の生活のなかではどうだろうか?
「内観しよう」と心静かに落ち着けようとしていても、
ソーシャルディスタンスはどこへやら?
自分のスペース確保のために満員電車の中ではグイグイと押し込んでくる人もいる、
ところかまわず大きな声で話す人もいる、
いつも悪口と愚痴に溢れかえっている人もいる、
言ったもん勝ち、みたいなことがまかり通っていることもあるし、
そこらじゅうでハラスメントが横行している。
そのなかで
「宇宙即我 我即宇宙」
自分は宇宙と一体だ、と感じ、安心できるということは、なかなか難しい。
なかなか難しい
のですが、できないことではありません。
バランスの問題なんだと感じています。
「自分のモノ!!!」という執着が多いと、そこに固執してしまう、
だから見える世界も狭くなるし、意固地にもつながります。
レイキの基本でもある「手放す」ということ、
必要のないものは全て手放してしまえば身軽になれる。
必要なモノは全て自分の内側にある、と安心できれば、外の世界への執着が無くなるのです。
ここで必要なのは「バランス」であり
「欲がない」ということとは違うのです。
自分の道に必要なモノ、コトは何でも欲しいだけ手に入れることができる。
そう願い、そしてそれを信じられるから執着が起こらないのです。
自然と欲しいものが用意される、現れるのではなく、しっかりと「これが必要だ」と意識すること。
自身に必要なら、握りしめなくてもちゃんと用意されてくるものです。
レイキを信じる気持ち=自分を信頼する気持ち、です。
時には鞍馬山のような、エネルギーの高い場所を訪れ、自分の原点に戻る機会を持つのも良いでしょう。
どこにいても、自分は自分。
周りに動かされるのではなく、自分がどうありたいのか、自分自身に誠実にあることで
いつでも私たちは宇宙と一体であるという、原点に立ち戻ることができます。
自分って何者なのか?
レイキのエネルギーをなかなか感じられない…
そんな方は、一度セッションを受けてみてください。
今まで見えなかった自分が、少しずつ見えてくるようになりますよ。