不幸が続く…なぜ私ばっかり??

不幸、自分にとっての嫌なことばかりが続くー
「最近」のみならず、「自分の人生」、となってくると、かなり落ち込んでしまいます。

そこで、湧いてくる疑問が

  • なんで私ばっかり??
  • なにがいけないの??

となってくるわけですが…。こういった場合の、ウラガワの様子をスピリチュアルで観た時に、もちろん複雑ではあるのですが、ベースとして「サバイバル系の魂」とか、「感受性が高すぎるゆえ」などがあることが多いです。
 

そうなんだ…と納得したり、あきらめたり、という方もいれば、そんなの誰も望んでないだろっっ!、とキレる方もいます。

今回は
不幸続きーちょっと深い不幸の話の方もいれば、そこまでではなくとも、どうもいいことがなくて落ちこむな…といった時などの、思考の切り替え法を三段階でご紹介します。

 
プラス、ちょっと耳の痛い話になるかもしれませんが、高次存在から見た「不幸な自分」についての見解、も後述します。
ご興味のあるところだけでも、ぜひ読み進めてみて下さい。

思考の切り替え、3つのステップ

自分と出来事を分ける

自分にとっての不幸な「出来事」、古くからは家族関係の親ガチャ問題だったり、そこから地つながりで「学生時代のいじめ」や、「社会人でのパワハラ」、あるいはパートナーになかなか巡り合えない…などもあるかもしれません。

そういった出来事を振り返ると、心が痛みますし、思い出してはムカムカしてきて怒りが再燃、とかもあるわけですが。

まず、「出来事」と「自分」を分けてみて下さい。

サイテーな出来事 / 人に出会ってきたけれど、その「サイテー」の中に『自分』をくるめてしまっていませんか? 自分自身がサイテーな、思い出すだけで腹の立つ!、という対象ではないはずです。

 
反対に、もっと『自分に寄り添って』みてはどうでしょうか?
〇いやぁ、あれはないよね、私つらかったわ
〇私の想いが全然伝わらかなった、悲しいね・・・とか。
私自身が、自分を苦しめる「不幸」ではない。あくまでその時の環境や、人間関係だった、はず。
嫌なこと=自分、という認識から外れることが1つめです。
 
 
 

出来事のメリットを探す

自分が不幸だと思えるような出来事の「メリット」ー良い点を探すこと、が2つめのステップ。
なもんあるわけないっっ!!
と怒られそうですが、逆に声を大にして言います、「ないわけない!!!」と。

全てはコインの裏と表、二面性を持っています。自分にとっての超超超絶苦しいことでも、「メリット」がポツリ、と存在します。苦しすぎて、全く視界に入っていないだけ、ということですね。
 
 
例えば、スピリチュアルでよくある題材では
病気や、職場の関係などで仕事の継続ができなくなった時ー顕在意識では「大問題」なのですが、でも身体は、心は休みたがっていましたよね、とか。だから、休める時間 / 考える時間がとれた、ということがメリットだったりします。

 
人に裏切られたら、うっかりミスでお金を損したらー次回からは用心するようになるし。
そうやって、一つ一つ体験をすることで得ることがある。
渦中にいる時には、そういった余裕はないですが、あとから振り返れば「あの時にあれがあったから」と、プラス面が見えるようになってきます。
あえて、デメリットだけではなく、メリットを一生懸命探してみて下さい。
 

 

自分のできる、好きを探す

自分ばっかりに不幸がやってくる、と思うと、自分自体が不幸と勘違いしがちですが、そこに巻き込まれずに、1つめでは「出来事」と「自分」は分けて捉えました。


2つめでは、「出来事」のメリットを探しましたが
3つめでは、「自分のメリット」ーできること、好きなこと、を探してみて下さい。

ここでは
スラスラとあれもこれもと飛び出して、あぁ自分って忙しい!、と語れる人もいれば、通信障害かと思うほどに黙り込んで考え込んでしまう人もいますし、「なにもないです、本当に」と即答で、そこから1歩も進まない、という人も。

だから、ペースは気にせずに
できれば思考、という頭で考えるというよりは、感じるー楽しいんだよね!、という感覚を見つけてみて下さい。
 

不幸続きで、落ち込む…
という時は、自分の「不」「負」に眼が向いています。でも、自分の持つ「楽」「陽」が消えたわけではありません。今の自分の視界に入っていないだけーなら、それを引っ張り出して、自分ができることを、好きなことを取り入れ、自信を持って行動してみましょう。
 
 
 

まとめ

思考の切り替え三段階、いかがでしょうか?
ちょっとフツフツとネガティブが湧き出てきたら、ぜひトライしてみて下さい。

  • 出来事と自分を分ける
  • 出来事のメリットを探す
  • 自分のできる、好きを探す 

これらを通して、今まで見ていた方向性が「外側から内側へ」と変化します。そう、自分自身を見つめることにつながり、もっと「自分のための」行動が自然と起こせるようになってきます。
 

「自分ばっかりが」と感じるから、その不公平さにも苛立ちや絶望を感じ、余計にネガティブ感が増すものです。後述しますが、自分「だけ」ではありませんし、まずはしっかりと「自分で」「自分のための」思考・行動へと、方向転換をしていきましょう。 

 

 

誰も助けてくれないの?

神様は無慈悲?

もともとの特色として「サバイバルな魂」、ちょっと曖昧ですが、そういったものもあります。毒親育ち、などは典型的な例で、いわゆるスタート地点から既に「マイナス」状態です。一方では、温かい両親の、家族の愛情をいっぱいに受けてスクスクと育つ、という方もいるのですから、ここを切り取ったらなんとも不公平な話になってきます。
 
 
そういった場合に、ポツポツとクライアントさんから出てくる言葉が
「どうして誰も助けてくれないの?」
というものです。
生まれから既にマイナスで、そこから不幸続きばかり。ねぇ、天使だのガイドだの、神様だの…誰でもいいけど、こんなに辛いのになんで助けてくれないの??、という話。
 

私自身もマイナススタートのサバイバル魂です。なので、以前は「慈悲深い神々」「慈愛」という言葉の意味が全く分かりませんでした。
アニメの主題歌で有名になったある曲の歌詞に

「空の上の無慈悲な神々には、どんな叫びも届きはしない」

という一節があります。
神は願いごとなどは聞き入れてくれない、無慈悲な存在なのでしょうか?? 

 

 

自分を救えるのは

「誰も助けてくれないの?」
実は、最初の立ち位置がちょっとズレています。
「誰か」なのではなく、自分を助けるのは「自分」です。

文字で説明するのは非常に難解な話なのですが。
「自分」という1人で、誰にも頼らずなんとかしろよ、という話なのではもちろんありません。
ポイントは
「自分」のことを、他人なのか、神様なのか、自分以外の外側の誰か / なにかに任せている、というところが違う、ということです。
どこかにいる、架空の誰か、なにかは自分を救えません。
 
 
あなたの意識を、自分の外側にあるなにかから、内なる自分へと向けた時、自分を知って、自分を理解しようと自分に寄り添った時。
自分の中にいる、スピリットたちや神々たちも同時に動き出し、必ずあなたを救います。


自分を救う神々は、自分の外側にいるのではなく、自分の内側にいます。
だから、なによりも、自分で自分を育て大切に愛を注ぐことー誰よりも「自分で」「自分を」です。そこから、顕在意識の自分だけではなく、無意識の領域も含めた自分が動き出し、続いて自分を取りまくエネルギーにも変化が訪れます。
 
 


 
 
こと「マイナススタート」だったりする場合には、「自分ばっかり」という不公平感が伴います。が、もちろん「自分だけ」が不幸なのではありません。
ある一面を切り取って、そこだけを比較するから差異がわかりやすいだけで、実際は
・数学のテストで95点
・英語のテストで50点
・国語のテストで70点
・50m走のタイムが7秒
ねぇ、どれが一番??、と聞いているのと同じことー比べようがありません。あなたが「うらやましい」と思うあの人の全てを、あなたが知っているわけではないのですから。


そもそも、マイナススタートの人には、それをクリアできるだけの資質と才能が備わっています。無防備なのではなく、ちゃんと武器なるものを持っているーでも、イメージとしてはお宝みたいにしまい込まれている、とか、サビついているからメンテが必要とか…そんな感じでしょうか?
それを自分で見つけて、自分で育てるということも課題、のようです。
 

自分へと、内側へ眼を向けることが大切ですが、慣れないと難しく感じたり、ちょっとそこまで余裕がない時もあります。そんな時こそのスピリチュアルの力、アカシックの力です。
迷ったら個人セッションを受けてみて下さい。負のスパイラルのリセットをお手伝いします。