「本当の自分」って、「本当は」おかしい

「本当の自分」「本来の自分」といった表現は
スピリチュアルではあたり前に使われる表現です。
この記事を読まれている方も、スピリチュアルに興味がある方、なのだと思いますが、
「本当の私って?」という言葉に惹かれる、でしょうか?

しかし。
この表現、「本当はおかしい!」と私は思っており、基本的には使いません。
需要はあるのにな、というところなのですが。。


「本当の自分」からイメージできること

「本当の自分」があるなら
「本当じゃない自分」がある、ということにーウソ、とまではいかないまでも
仮の、とか、まだ未開拓のとか、そういった感じでしょうか。

ある意味、1つの希望になる、という側面があると思います。
本来の自分はここで終わらない、この先があるんだ、という感じでしょうか。

ただ。
今ココにいる自分が「本当ではなくて」
未来の理想の自分が「本当の自分」、というと
今ココの自分を全否定状態になってしまう。

私はだれ?

いえ、未来の自分も、今ココの自分も「自分」に他ならないのです。
「私は私」
今の自分を否定したら、否定している自分のために自分はがんばれないし、
自分は自分を否定しているけれど、他の誰かや目に見えない天使は自分を認めて助けてくれる、
というのも矛盾です…よね?

今の自分を他の誰かみたいに連想させる「本当の自分」という言葉、
ちょっとおかしい、というニュアンスが伝わりますでしょうか?? 

 
 

「本当の自分」としか言いようがない

とはいえ。
「本当の自分」という言葉がぴったり、そうとしか説明のしようがない、
という状況もある。

私も「本当の」という言葉がつい出てしまう、ということもあります。 

それは
顕在意識と潜在意識がズレており、そこに大きなギャップがある時。

今世に持ってきた「資質」「才能」が花咲いておらず、まだ開いていない、気付いていない。
ネガティブに目を向けて「自分は運が悪い…」という方向ばかりを見ている。
あるいは
「自分はこれをやりたい」「これで花を咲かせるの!」
と走っているけれど、いや…、ちょっと方向性が違うんですけれど…、みたいな。 

 

潜在意識や魂の想いとかは、眼に見えない霊性の話、
気がつかなくて当然で、そこに興味がある人もない人もいます。
そこに興味がなくても、楽しく人生を満喫されている人は、
魂の想いと、顕在意識でわかっていることーそこから選択して行動していること、
それらがズレていない、ということがあります。
 

つまり。 
「自分を知る」ということが「とどのつまり」です。
自分が何を求めて、どうありたいのか?
「私はだれ?」
を顕在意識で語れないと、「本当の自分」としか言いようがない、ということに。。 

 


本当もウソもない世界

見えない世界の話を展開するスピリチュアルの世界では
「本当の」自分、という言葉が必要になってきてしまう、という側面もあり
でも「本当」って、本当はおかしいよ、ということ。 

だから目指すのは
本当も、ウソも、仮も、何の修飾語もない
「私は私」
というシンプルな世界。

自分の外側には答えがなく、自分の内側に全ての答えがありー自分は全てを知っている、
ただそれに気づいていないだけです。 

三位一体とは「ボディ/マインド/スピリット」、このスピリットを深堀することで
三位が一体となり、ズレがなくなり「今ココの私」でいられます。

スピリチュアルの情報、セッションを上手に活用して、
「本当の自分」
という言葉から、早々に卒業してゆきましょう。